今から64年前の今日、1961年(昭和36年)12月11日、大阪市の交通網に新たな一ページが刻まれました。大阪市交通局(現・Osaka Metro)が計画を進めていた地下鉄4号線、現在の中央線にあたる路線のうち、大阪港駅から弁天町駅までの区間が開業し、営業運転を開始しました。
当時、大阪は高度経済成長の真っ只中にあり、産業の発展とともに人口が急増していました。特に大阪港周辺は物流や産業の拠点として重要な役割を担っていましたが、都心部との交通アクセスの強化が喫緊の課題となっていました。64年前のこの路線の開業は、港湾地区と大阪市内の主要な交通結節点である弁天町をつなぐことで、通勤客や港湾労働者の移動を円滑にし、ベイエリアの発展を後押しすることを目的としていました。
この区間の大きな特徴は、全線が「地下鉄」という名称でありながら、地上を走る高架構造となっている点です。大阪港周辺の地盤は埋立地であり軟弱であったことや、建設コストの削減、さらには将来的な阪神高速道路との一体的な整備計画なども考慮され、高架式が採用されました。このため、乗客は車窓から大阪の港湾風景や街並みを眺めることができ、他の地下鉄路線とは異なる開放感を持つ路線として親しまれることとなります。
開業当初は大阪港駅から弁天町駅までのわずかな区間での運行でしたが、弁天町駅で国鉄(現・JR西日本)の大阪環状線と接続することで、大阪市内各地へのアクセスが確保されました。その後、この路線は東へと延伸を続け、1964年には本町駅まで開通し、御堂筋線との接続を実現します。これにより大阪の東西を貫く「中央線」としての大動脈が完成へと向かい、後の1970年大阪万博の輸送アクセスとしても極めて重要な役割を果たすことになりました。
64年前のこの日は、単なる一区間の開業にとどまらず、現在の大阪の都市構造を支える東西軸が形成され始めた、歴史的な一日であったといえます。
